沖縄生活:白い犬と沖縄の御嶽(ウタキ)

こんにちは。築山です。

早いもので、沖縄生活も3年目を迎えています。前職の最後の任地としてやってきた沖縄ですが、実はそれ以前からいろいろな出来事が重なってこの地に来た感じがします。あるウチナーンチュ(沖縄生まれの人)には「それはアレよ、やー(あなた)が沖縄に呼ばれたのよ」と言われました。そういえば、先日投稿したこの記事も、そんなエピソードの一つです。

そして今回は、その中でも「そもそもの始まり」的な「御嶽(ウタキ)」に関する話を書いてみます。

断っておきますが、築山は決して「スピリチュアルな人間」ではありません(むしろ真逆の人間です)。「パワースポット」への興味みたいなものも大して持ち合わせていません。強いて言えば、ジョブスの有名な言葉「点と点が繋がって線になる」…そんな話なのかと。

 

きっかけは、不思議な白い犬

前職のサラリーマン時代、沖縄には仕事で何回か来ていましたが、仕事が終われば普通に帰っていました。5年前の8月、ある不振店のコンサルティングで久々に沖縄へ行ったとき、上司の許可を得て市場調査を兼ねてそのまま休日を過ごすことにしました。
車で走っていると、サトウキビ畑の中に突如、低い木々に囲まれた一角を見付けました。そのときは仕事があったので通り過ぎたのですが、何故かずっと気になったので、帰り道に寄ってみました。
車を降りると、目の前に一匹の白い犬が座っていました。彼(もしくは彼女)は、築山を見るとその低い木々の茂みの入口に歩いて行きました。後をついていくと、その奥には中央に大きな石と香炉が置いてあり、8月の午後にも関わらず、ひんやりとした空気が漂っています。なんとなく「奥まで入っていくべきではない」と思ったのと「お参りをすべきだ」と思い、手を合わせて沖縄で休日を過ごせた御礼とプロジェクトの成功を祈りました。その間、白い犬は後ろからずっと築山を見つめていました。
お参りを終えて振り向くと、彼(もしくは彼女)は、再び車まで歩いて行き築山が戻るのを待っています。彼(もしくは彼女)に挨拶をしてから、車に乗り込みエンジンをかけて再び走り始めたのですが、その白い犬は、ずっと座って築山の車が去るのを見ているのがバックミラー越しに映っていました。そういえば首輪もしていなかった。…とにかく不思議な犬でした

 

御嶽(ウタキ)とは

後で、ウチナーンチュに聞いてみると、築山がお参りしたのは『御嶽(ウタキ)』と言って、自然と先祖を信仰する沖縄の人々の祭祀場であることを知りました。

御嶽(沖縄)

御嶽は琉球の神話の神が存在、あるいは来訪する場所であり、また祖先神を祀る場でもある。地域の祭祀においては中心となる施設であり、地域を守護する聖域として現在も多くの信仰を集めている。琉球の信仰では神に仕えるのは女性とされるため、王国時代は完全に男子禁制だった。現在でもその多くが一定区域までしか男性の進入を認めていない。

御嶽の多くは森の空間や泉や川などで、島そのものであることもある。御嶽によっては空間の中心にイベあるいはイビ石という石碑があるが、これは本来は神が降臨する標識であり、厳密な意味でのご神体ではない(ご神体として扱われているところも多い)。宮古や八重山地方では、過去に実在したノロの墓を御嶽とし、そのノロを地域の守護神として祭っていることが多く見られる。

大きな御嶽では、「神あしゃぎ(神あしゃげ、神あさぎ)」と呼ばれる前庭や建物といった空間が設けられていることがある。これは信仰上、御嶽の神を歓待して歌ったり踊ったりするための空間である。語源は「神あしあげ(神が足をあげる場=腰を下ろす場)」と考えられている。
鳥居が設置されている御嶽が散見されるが、これは明治維新から琉球処分以降の「皇民化政策」による神道施設化の結果であり、本来のものではない。沖縄本島では戦後、鳥居が撤去された御嶽も多いが、宮古や八重山地方の御嶽の多くには戦後もそのまま鳥居が残されている。(wikipediaより)

築山のお参りした御嶽には鳥居はなかったのですが、あの時「奥まで入っていくべきではない」のと「お参りをすべきだ」と思った感覚が正しくてホッとしたのを覚えています。そしてそこから、琉球王朝時代より続く沖縄固有の文化や歴史、生態系に興味を持ち、本を読んだり調べるようになりました。

ちなみに、件の不振店は優秀店として紹介されるまでに復活。2年後、それがきっかけで、競合との価格戦に苦しんでいた沖縄エリアの支店長に任命され、今度は生活の場として沖縄にやってきたわけです

 

斎場御嶽での出来事

初詣を兼ねて、沖縄最高の御嶽(聖地)とされる斎場御嶽に行った時にはこんなこともありました。築山は10年以上、サッカーJリーグの川崎フロンターレのサポーターなのですが、「今年こそ優勝を」(詳しい方ならこの「願いの重さ」は分かるはずです…笑)とお参りをして後ろを振り返ると、クラブの躍進の貢献者である名将 関塚隆 前監督が真後ろに立っていたことがあります。当時は違うクラブの監督をされていましたが、開幕前のキャンプを沖縄南部でやっており、オフ時間を利用して斎場御嶽に立ち寄られたそうです。20年住んだ東京に未練もなく望んで沖縄に引っ越してきましたが、シーズンチケットを手放して川崎フロンターレの試合をスタジアムで観られなくなってしまったことだけは若干寂しく感じていただけに、これには本当にびっくりしました。

 

他にも、御嶽にまつわるエピソードはたくさんあるのですが、御嶽は沖縄の生活や文化の拠り所であり、個人的に感じるのは、ここに行くと何らかの「きっかけ」というか、大袈裟に言うと『啓示』みたいなものを得ていることが「後で分かる」んですね



 

 

ちなみに、あれから何度も、あの御嶽へ行ってお参りをしているのですが、あの白い犬には会っていません。…とにかく不思議な犬でした。

 

築山 大

琉球経営コンサルティング

 

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