こんにちは。築山です。
出会いは25年前
25年前、初めて自分で買った雑誌が『BRUTUS』。「死ぬまで不良」と題された特集記事(いかにも当時18歳の小僧が惹かれそうなタイトル)にある大好きなキース・リチャーズのインタビューと操上和美氏によるポートレイト目当で買いました。彼の他にも布袋寅泰やピーター・フォンダなど錚々たる面々が紹介されていましたが、その中にあった1人の老紳士の写真がすごく印象に残りました。
一目見て布地と仕立ての良さが分かるラペルの大きなスーツ(トム・フォードもびっくり)にパナマハット、タイとチーフの絶妙なチョイス、手に持った煙草、上品な顔立ちながらも鋭い眼光…。その時は、彼の名前も気に留めず「こんな歳の取り方をしたいなぁ」程度で眺めてました。
25年後に偶然の再会
25年後、沖縄に住み始めてから、料理本を読み漁って家で作るほど沖縄料理の奥深さにハマっていたら、よく通っていた沖縄料理店の女将から「それなら、古波蔵保好さんの本を読んだらいいさー」と教えられました。ところがその本が絶版で色々と検索していたら、見つけたのが筆者の写真…。
えっ、あの老紳士じゃん…。
古波蔵保好(こはぐら ほこう・やすよし):1910年〜2001年
日本のエッセイスト。妻は服飾評論家の鯨岡 阿美子。
沖縄県首里市(現那覇市)出身、沖縄県立一中(現首里高校)卒業、東京外国語学校印語学科中退。1931年、当時県域新聞社として発行していた沖縄日日新聞(後の沖縄日報)に記者として入社。1941年大阪毎日新聞社に移籍し社会部記者、論説委員。1964年に退社後はエッセイスト、評論家として、日本エッセイストクラブ賞を獲得した『沖縄物語』をはじめ、沖縄県の歴史、文化・世相風俗、食などに関する著書を多数発表した。また、那覇市の沖縄料理専門店「美榮」を主宰。(Wikipediaより)
琉球王朝時代から続く名門士族の出身(あの上品な顔立ちと豊かな知性の理由が分かる)。調べてみると出て来る逸話の数々…「スーツの採寸〜仮縫い〜受取に合わせてイタリアへ3回旅行する」とか「男は煙のように消えるものにこそ金を使え」などの名言、白洲次郎、池波正太郎、伊丹十三(築山の出身高校の偉大なる先輩の一人)、加藤晴彦など、日本を代表する知性&洒落者の一人かと。
なんといっても第1回ベストドレッサー賞受賞者ですからね。
件の本は、散々探し回った果てに、宜野湾にあるBOOKSじのんで見つけて購入しました。(ちなみにこの本屋、沖縄に関する書籍の品揃はトップクラスです!)戦前の沖縄の生活や料理への細やかな描写は、当時の空気や匂いが伝わってきそうなくらい素晴らしく、市井の人々への眼差しはあくまで暖かい。時間があると何度も手にとって読み返す大事な本です。那覇にある『美榮』にも行きました。昔ながらの沖縄料理は手間暇かけた滋味溢れる美味しさで、『ヌチグスイ』という沖縄の言葉にもあるように、日本一の長寿県(今となっては過去の栄光ですが)を支えていた食文化とその理由を知ることが出来ます。(特にミヌダルは絶品)
25年ぶりに再会した1枚の老紳士の写真から、沖縄の豊かな文化を学ぶきっかけを得ることが出来ました。ちなみに、上記の沖縄料理店の女将は、生前の古波蔵保好さんに会っており「あの人は抜群に上品でカッコ良かった。愛人でも良かったから付き合いたかったさー」と言ってました(笑)
築山 大
琉球経営コンサルティング