沖縄について考えることを考えること:『はじめての沖縄』を読んで

こんにちは。築山です。

今回は、青臭くて、熱苦しくて「めんどくさい」ブログになります。しかし、経営コンサルタントとして、沖縄企業やウチナーンチュの方々との仕事を通じて沖縄に貢献すべく働いている沖縄在住のナイチャーとして、書かずにはいられない、書いておかなければならない内容なので筆をとります。う〜ん…この時点ですでに熱苦しい(笑)。

きっかけは一冊の本でした。

 

『はじめての沖縄』(岸 政彦 著:新曜社)

著者である岸 政彦氏は、オーラル・ヒストリー(聞き取り調査)による生活史や、長年にわたって戦後沖縄の社会構造について研究されている社会学者であり、一方で芥川賞や三島由紀夫賞の候補作にもなった作品を執筆している小説家としての顔も持ってらっしゃる方です。築山が、沖縄について勉強する中で『同化と他者化』という本を読んだことが氏の著作との出会いでした。

この本は、膨大な統計データ分析から浮かび上がった本土復帰前夜の沖縄経済と、その時期にあった大規模な本土就職(復帰前なのでパスポートを持って海を渡った)、その当事者達への聞き取り調査から構成され、当時の沖縄社会や沖縄県民のアイデンティティを窺い知ることのできる名著です。

そして今回、氏は長年の研究対象とされてきた沖縄についてのエッセイである『はじめての沖縄』を執筆されました。氏が「沖縄についてずっと書きたかったことを書いた」(P.10)というこの本で語られている内容は、ほとんどそのまま、築山の「沖縄についてずっと考えてきたことが書かれている」というものでした。
前回のブログでも述べたように、経営コンサルタントとして、沖縄企業やウチナーンチュの方々と一緒に働いて成果を出すときには、利潤追求や生産性を上げるというビジネスや経済活動の原理原則に則って仕事をするだけなので
「県民性」を感じることは全くありません。

しかし、仕事やその成果を通じてウチナーンチュの方々と信頼関係を築けば築くほど、好きで住んでいる沖縄の歴史や社会について学べば学ぶほど、意図せずして「ナイチャーである自分の立場」が浮き彫りになる瞬間があります。う〜ん…やっぱり自意識過剰で「めんどくさい」ですね(笑)

 

なぜ「めんどくさい」のか?

これはひとえに沖縄(琉球)という土地や文化や歴史が日本にとって「内なる他者」だからに他なりません。それが故に、沖縄(琉球)について考えたり語るときに様々な「立場」のナイチャーが、様々な「話法」や「定型文」を使います。そして、沖縄在住のナイチャーである築山自身も、そういった「話法」や「定型文」からは自由になれないことを、時として感じるからです。
また一方で、沖縄旅行のリピーター(=沖縄病の人)が語る「沖縄好き自慢(私はこんなディープなことを知っている。ビギナーと一緒にしないで)」「一方的で勝手な妄想(沖縄には日本が失ったものが残っている云々)」に辟易することも多々あります。あぁ、ウチナーンチュたちは、こんな気分でナイチャーの話を聞いてるんだな…と。
まさに、氏が述べているように『沖縄を相手にして、私たちナイチャーは「冷静」になれない』(P.182)のです。

 

自分にしか出来ないことがあるからこそ、ここにいる

こうした、たまに「めんどくさい」自分を抱えながら、沖縄で仕事や生活していた中で、この本を読み、後日那覇で開催されたトークイベントで岸 政彦氏の話を聞いて「我が意を得たり」的な瞬間に出会いました。
氏も、研究を進めれば進めるほど「沖縄について10年ぐらい書けなかった時期」があったそうです。ブレイクスルーしたきっかけは、上述の『同化と他者化』を書くときに、自分の思いや、世間の「話法」や「定型文」を排して、膨大な統計データを読み込み分析することで浮き彫りにした復帰直前の沖縄経済や沖縄社会の実態が「どこにも出ていなくて、誰もまだ語っていなかったこと」だと分かった時だそうです。「自分にしか出来ない語るべきことがある」「知ってしまった以上、語らなければならない、語らずにはいられない」と思ったときに、社会学者として沖縄について考え、語る役割を「引き受けた」のだと感じました。
氏と同列で語るのはおこがましいですが、サラリーマンとして赴任した沖縄で、サラリーマンを卒業し、経営コンサルタントとして独立することを決めたときと似ています。様々なデータから沖縄経済や企業の状況、そこで働く人々の労働環境や生活環境を客観的な数字で把握して行き着いた結論は「沖縄はやり方次第でもっと稼ぐことができる」ということ、そして「稼ぐ力は選べる力を生み出し、選べる力は幸福に繋がる」ということです。その手伝いをすることが自分の本分である
…と。

自分にしか出来ないことがあるからこそ、ここにいて、さらに有難いことに、沖縄企業やウチナーンチュの方々からコンサルの依頼を頂き、沖縄で生活することができている…。氏が仰っていたように「沖縄を考えることと、沖縄を生きることは違う」という言葉が腹にストンと落ちました。

 

「立場」を超えて「それぞれのやるべきこと」で貢献する

もちろん、築山がナイチャーである事実は変わりませんし、これまで考えてきた「めんどくさい」自分が消えることもないでしょう。むしろそれを打ち消すことよりも、客観性を持って自分の立場に「自覚的」になること、そのために経験と知識の絶え間ない研鑽を続けることが大事なのだと思いました。
そして、今まであまり考えたことがなかったのですが、世間でよく言われる「地方移住」や「地域創生」において重要なのは、それに関わる人たちが、それぞれの「立場」に自覚的になりつつも、それを超えて「それぞれのやるべきこと」で貢献すること、ベースにはその土地に対する愛情と愛着がある…という考えに至りました。
沖縄戦で県民の命を救おうとした島田 叡知事はナイチャーですし、戦争で壊滅した沖縄文化の復興や首里城再建には同じくナイチャーで沖縄文化研究者である鎌倉 芳太郎氏の資料やメモが多いに寄与しました。そして、岸 政彦氏の戦後の沖縄社会研究も、従来の「話法」や「定型文」からを超えた沖縄の新しい語り方を見つけるとおもいます。築山もそう言った偉大な先人たちの末席に名を連ねる人間として精進したいと思います。

ある沖縄企業の社長が「殊更に『沖縄のために』って言わなくてもいいさ〜。君が沖縄を好きで腰を据えて頑張ってるのは分かってるさ〜」と築山に行ってくださったのを思い出しました。

青臭くて、熱苦しくて「めんどくさい」ブログを読んでくださり、ありがとうございました。

 

築山 大
琉球経営コンサルティング

 

 

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