『貧乏人の経済学』から学ぶ沖縄の貧困対策

2. 余裕のなさと目標との乖離。貧困層が、不合理な判断をしてしまいがちな理由

貧困層は、日々の生活の中で常に、生き延びるために必要な判断やお金の悩みに直面し続けています。限られたお金の中から、何を優先し、何を我慢するのか?そもそもいくら必要なのか?どんな便益が得られるのか?しかも、収入が安定しないので、その判断は常に変化します。突発的な問題が発生したり、病気になれば、さらに大きく変化します。

生き延びるために必要な判断やお金の悩みに直面したり、何かを我慢することは、大きなストレスと疲れを感じます。それが続くと、例えば、将来の目標や健康の重要性について(いくら頭でわかっていても)現状との乖離が激しくて無理だと感じてしまうと、人は期待値を下げて手近な快楽を選んでしまう傾向があります。これを「時間的非整合性の罠」といいます。

また、限られたお金で目の前のやりくりを続けているが故に、価値判断が目の前の金額の大小そのものに引き摺られてしまい、保険や積立、予防といった、将来のリスク回避のための少額投資の価値を(いくら頭で分かっていても)低く見積もってしまう傾向があります。これを「心理的埋没費用の罠」といいます。

これに対して、中間層以上は、安定収入を得、整備された社会制度や医療制度に保護され、金融・保険サービスにアクセスが可能であり、それらの問題について、他人が適切な判断と指示をしてくれるおかげで、こうした判断や悩みから解放されています。

貧困層は、普段、我々が考えなくて澄むような問題を常に考えて判断を下さなければなりません。「時間的整合性」や「心理的埋没費用」の罠は、誰もが判断をするときに陥る罠ですが、不安定でギリギリの状況下にある人ほど大きく作用します。これが、貧困層が、不合理な判断をしてしまいがちな理由です。彼等が怠惰で自制心に欠けている…という批判は的外れです。
ちなみに「時間的整合性」や「心理的埋没費用」などの行動経済学と参考図書に関しては、下記に分かりやすくまとめておきました。

 

3. 貧困層の就学率の低さ。エリート主義的なカリキュラムと「期待の呪い」

本書によると、貧困国の基礎教育段階における就学率の低さの原因は、学校の数よりも不登校、つまり、本人や親が行きたがらないことに起因するそうです。貧困国の親へのアンケートで「将来、子どもに就いて欲しい職業」のダントツ1位は公務員で、その理由は「子供の生活が安定するから」であり「家族の生活も安定し、自分の面倒も見て貰えるから」と回答しています。貧困層にとって教育は、子どもの将来だけでなく家族生活の安定にも関わる『重要な投資案件』なんですね。

子どもが学校に行きたがらないのは、貧困国に限らず、先進国にもある風景です。しかし、公務員になるには教育は不可欠です、親が子どもを学校に行かせない(もしくは、行かない子どもを放置する)ことは、厳しい生活の中でかき集めた『重要な投資のお金』を捨てるようなものですから、理解に苦しむところです。

問題は、まず、貧困国の教育カリキュラムが、植民地時代の上から目線なエリート教育の影響を色濃く残していることにあります。これは、宗主国への留学し、故郷に戻って宗主国とのパイプ役となる公務員を育てるものであって、彼等の社会や生活の中で必要な事象を学ぶ内容とは乖離しています。しかも、競争と選抜によって多数の落伍者を出します。

次に、そこへ「親の手による選別」が加わります。貧困国の家族は子どもの数が多いので、教育費(投資のお金)を「伸びる見込みのある子供」だけに絞ります。社会心理学の『ステレオタイプの脅威』にもあるように、残りの子どもは、自分が期待されていないと分かると自己肯定感が減り、それがパフォーマンスの低下に繋がります。親によっては、残りの子供の就学を切り上げようとします。

エリート教育のカリキュラムと、親による「期待の呪い」。こうして、貧困国では不登校が増え、就学率が下がるのです。

 

4. 小さ過ぎて儲からないビジネスと、マイクロ融資の限界

貧困国のビジネスは、農業や、日常生活で必要なモノの製造、小売が殆どです。人々はそれらを行うか、都市部で外貨によって行われている建設現場や工場での労働に従事するぐらいしかありません。前者は、その業種と、内需をあてにしているために小規模で生産性が低く、後者は、安定しない劣悪な労働環境であることが多くなります。

確かに、ノーベル平和賞を受賞したグラミン銀行に代表されるような、マイクロ融資は増えていますが、その融資や返済条件が故に、貧困層の生活を安定させることは出来ても、ビジネスを大きくすることは稀のようです。自らのビジネスを発展させるだけの知識と意欲を持つ人が融資を受けなければダメなのは貧困国に限らず同じ…ということです。

 

5. 無関心と民族主義:職員や公務員の職務怠慢や汚職の温床

本書で紹介されていたのは、貧困国の一つであり、汚職度ランキングでも下位に沈むウガンダの例です。外国の調査機関が、援助金が実際どれぐらい現場に行き渡ったのかを調査したところ、たった17%であることが判明しました。その後、国民から怒りの声があがり、政府が調査&援助額を定期的に新聞発表するようになると受取額は80%まで上昇しました。人々が無関心で誰も見ていなかったから大規模な横領が発生し、注目が集まってそれが難しくなったから収まった…ということです。

インドの選挙で、候補者がどんな人間か全く知らない有権者が、何も考えずに同じカーストの候補者を選び続けていたらその地域の汚職事件が激増し、国民の約25%が機能性文盲であるブラジルでは、名前のみの記入式だった投票方法を、顔写真と番号による電子投票に変えただけで無効票が1割減りました。

無関心な人たちや、何も知らずに、ただ自分と同じ民族というだけで安易に投票する人たちが、身内びいきによる職務怠慢や汚職の温床となります。ウガンダの例で挙げたように、貧困対策において、援助する職員や公務員の職務怠慢や汚職は凄まじい非効率を生み出します。

 

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