こんにちは。築山です。
貧困問題と環境問題は、その領域が多岐に渡り、たくさんの要素が絡み合った構造的な問題であり、一朝一夕には解決しません。
これらの問題は、あまりにも大きくて複雑であるが故に、貧困問題であれば、介入主義と自由主義との二極的な戦略論争であったり、環境問題であれば、一部の過激な組織による欺瞞の糾弾など、いわゆる「大きな問題には大きな答えがなければならない」という方向に行ってしまうことが往々にしてあります。また、築山の周囲にいらっしゃる、貧困問題や環境問題の改善に取り組んでいる方々も、時として「沈みゆく客船から、食器を一つずつ海へ投げ捨てて沈没を食い止めようとしているようなもの」と苦しい胸の内を吐露するときがあります。
しかし、だからといって、この問題を無視して過ごすことは出来ません。なぜなら、我々の子供や孫など、将来の世代の人生に影響を与える問題だからです。どうやらこのままでは、今、自分たちが上の世代に言っていたような文句、例えば「◯◯世代が国や世界をダメにした」「◯◯世代の享楽のツケを、なぜ我々の世代が払わなければならないのか?」といった言葉を、今度は自分たちが浴びせられるのは確実のようです。
貧困問題や環境問題の改善のために、また無意識に加担しないため、意識して行動することは、今や「意識高い系」の人だけのものではなく、大人なら当然やるべきことだと思います。築山は「逃げ切りのメンタリティ」に支配され、下の世代に「あとは君たちでよろしく」と言うような恥ずかしい大人にはなりたくありません。
沖縄での生活で学んだこと
かく言う築山も、ずっと以前からそうだったわけではなく、沖縄に移住し、生活していく中で、体験を通じて学び、誰に言われたわけでもなく、自然と意識と行動が変わりました。沖縄では、貧困問題も環境問題も、とても身近というか、自分たちの生活と「地続き」で繋がっています。
サラリーマンを辞めて経営コンサル屋となり、沖縄企業の収益改善と労働生産性を上げることで、微力ながら、貧困問題の一つの要因である所得改善のお手伝いを行っています。最近では、本土メディアへの寄稿を通じて提言も行っています。
また、毎日ビーチを散歩して目に付く海の汚れや、打ち上げられるプラスチックゴミを目の当たりしてショックを受け、家の中のモノや生活スタイルが自然と変わりました。化学物質や界面活性剤洗剤の入った洗剤や柔軟剤、石鹸類などを捨て、全て天然素材の製品に変えました。水筒を使うことでクライアントにもペットボトルや紙カップでの飲料提供を極力遠慮しています。最近ではコンポストを使用し生ゴミの量を減らすことも始めました。
そして今では、同じ価値観や意識を持つクライアント企業から依頼を受け、エコ・イベントの企画をするまでになりました。新型コロナウィルスによってこんな情勢になっていますが、さまざまな沖縄の企業や個人からの賛同と協力を得て、来るべき時に備えて準備を進めています。
沖縄の先人たちは、ごく自然にエコライフを送っていた
かつて、沖縄には、御嶽(ウタキ)に象徴される自然信仰を軸としてあり、そのサイクルに自分たちの生活を合わせるエコライフを送っていました。
例えば、備瀬のフクギ並木が作られた目的からは、琉球王朝時代の人々の美意識を感じますし、琉球創世の女神が降り立ったとされる聖地、久高島に伝わるイラブー(海蛇)料理は、ノロ(琉球の信仰における女司祭)のみに許され、その恵みは島民全員で分け合う…という生活が営まれていました。亜熱帯の気候が育んだ自然の恵みを上手く調理し「ぬちぐすい」と言う言葉に象徴される医食同源の食生活を実践し、長寿と健康の原動力となっていました。
こうした沖縄の、自然と共生する価値観や文化は、復帰後の歪な経済成長と社会変化の中で忘れ去られ、県民の健康はその真逆とも言える状況に陥ってしまいました。沖縄の価値は、綺麗な海や、人々の暖かさだけではありません。今、盛んに『SDGs』という言葉が盛んに叫ばれていますが、沖縄はずっと以前にそれをやっていたのです。
汝の立つところを深く掘れ、そこに泉あり
上述のエコ・イベントを企画するにあたって、その背骨となる趣意書には、この沖縄の先人たちが大切にしていた価値観を、現代の感覚でアップデートさせること、そして、彼らが自然にそれを行っていたように、日常生活の中で無理なく出来る具体的なエコ・アクションを提案して、それを持ち帰って実践してもらうこと、主催者側も上から目線ではなく、環境に負荷をかけないやり方でイベント運営することにチャレンジすること、の三つを盛り込みました。まさに『汝の立つところを深く掘れ、そこに泉あり』だったのです。